スポンサーサイト

.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ユーラシアを駄馬に乗って

.18 2010 日本 comment(1) trackback(0)
デリーからロンドンをバスで横断する旅を描いた、深夜特急を読んだのは大学一年の秋のころだ。その本を書いた沢木耕太郎が、別のエッセイでこんなことを書いていた。

「地続きでアジアからヨーロッパに移動したことで、街から街への距離感を手に入れることができた。」と。

そして、もうひとつ。いまとなっては筆者が思い出せないけれど、ある雑誌のエッセイに書かれていた一文。

「旅をしていて楽しいのは、私たちが住んでいる場所以外にも、私たちと同じように人が住んでいて、暮らしがあり、そういうことを実感できるところにあるのだと思う。」

一度も海外に出たことのなかった僕にとっては、どちらのひとことも印象的だった。いつか海外出て行きたい、と思い続けた。
ぼくがしたかったことは、つまりその両方だったのかもしれない。

ユーラシアを東から西へ。地続きに国々を横断することでその距離を掴むこと。そしてそれをしながら、そこにある僕たち以外の人々の生活をみること。

旅をする途中、たくさんの人に出会った。言葉が通じないのにたくさんの親切を人から受けた。あるいはぼくをだまそうとして近づいてくるいやなやつに会った。
腹が立ったり、嬉しかったり、苦しかったり、悲しかったりした。
いろいろなものを見た。世界遺産、戦争の傷跡、沙漠、山、街…

陸路で移動することで、行く先々で見る風景や人は、決して僕らが住んでいる国から遠くはなれた、知らない果ての場所にあるのではなく、全部の国々は、繋がっているのだ、と信じることができた。
日本から船に何日か乗れば中国という国に着き、さらにそこからどれくらいバスに乗るとベトナムという国に着き、その先にカンボジア、タイ…国はずっと先まで続いている。
国境を越えるたびに、言葉や、風景や、文字や、あるいは人の顔が少しずつ変わっていく。そういうことを肌で実感することができた。

ユーラシアを駄馬に乗って。
僕の描いていていた旅のイメージだ。
まるで駄馬に乗ったかのような、のろのろで、なかなか進まない、ゆっくりした旅をしてみたかった。
8か月間の駄馬に乗ったような長旅は、面白くて、刺激的で、驚きの連続で、すこしさびしい一人旅だった。日本にいては経験できない貴重な時間を過ごして、そして帰ってくることができた。これほど長い時間旅することももうないのではないかと思う。

たくさんの国を歩いてきて、やっぱり日本がいい、と思った。
家族でテレビを見て、ごはんを食べて、こたつで過ごす時間が、今はなんだかいい。

一つの目標が終わった。この日記を最後まで読んだ人がどれだけいるか、僕は知らないけれど、滞る更新にもかかわらず飽きずに読んでくれた人に感謝します。

おわり


スポンサーサイト

帰国

.17 2010 日本 comment(0) trackback(0)
10月20日 日本 東京

PA192940.jpg

PA192933.jpg


この時期のヨーロッパはなかなか日が出てこないらしい。夜も明けやらぬ真っ暗な早朝6時、空港行きの市バスに乗る。

出国手続きを終えて、搭乗口のロビーでぼけっと座っていると、ようやく空が明るくなってくる。8時を回った頃だった。

ロンドンヒースロー空港行きのブリッティッシュエアの飛行機は、結構古いようだった。
荷物入れのあたりから断熱材のようなものが見えたり、窓枠のプラスッチックが割れていたりした。飛行機嫌いの僕は、ますます不安になる。

それでも離陸する。あの本気になる瞬間の恐ろしさといったらない。
座席は通路側だったので景色は良く見えなかったが、それでも飛び立ち、ややあって、リスボンの赤茶の街並が見えた。テージョ川にかかる4月25日橋が見えた。朝の日に照らされて光っているように見えた。

涙がこぼれた。
終わってしまったのだ、と。
サグレスの岬にいた時はあまり実感がわかなかったことが、この時になって押し寄せた。
2月のはじめに出発して、8カ月間。
決して短い旅行ではなかった。長かった。旅にでていろんなものに出会って、自国で見たことのないような風景や人に会って、新鮮さや驚きだらけで楽しかったその一方で、見知らぬ土地を一人で出歩いていることの寂しさを感じないわけではなかった。

それでも、端に行くまで、ユーラシアの端のポルトガルに着くまで、その旅行を続けることが、僕のささやかな目標だった。

離れていく大地を見ているうち、それが終わった、ということを実感した。
声を殺して泣いた。なぜか悲しかった。

ロンドンから乗り継いだ成田行きの飛行機は、当然だが日本人が大半で、ツアー客の世話をする添乗員が行ったり来たりして、隣の席には新婚旅行らしいカップル2人。
機内に飛び交う日本語。もう半分日本に帰ってきたようなものだった。

あまりおいしくもない機内食を食べて、やや硬く狭苦しい座席で眠ろうとしたが無理で、ディスプレイの地図の飛行機マークが日本に近づくのをずっと眺めていた。
8カ月かけて辿った道を、飛行機がどんどん戻っていく。カセットテープを巻き戻すように。リスボンから東京まで、たった15時間しかかからなかった。

PA202944.jpg

PA202947.jpg


成田に着いた。天気はどんよりと曇り。
おかえりなさい。の文字を見た。ほっとする半面、やっぱりすこしさみしい。
時差ぼけの眠い目をこすりながら、出口に向かってゴロゴロカートを転がしていたら、意外にも友達が一人迎えに来ていた。定食屋に入って少し雑談。たしかに8カ月ぶりのさんま定食が美味しくないはずがない。

朝早い時間だからか、京成電車にはあまり人がいなく。けだるそうに携帯をいじる人や、居眠りをしているおじさんがいて、女子高生の黄色い声のおしゃべりが聞こえる。
どこにでもある、およそ旅立つ前まで気にも留めなかったそのひとつひとつの風景が、いちいち僕をほっとさせた。間違いなく日本に帰ってきたのだ、と思った。

田園風景の中を走る電車が徐々に都心に近付いて、自分の大学の駅やバイトをしていたホテルが見えた。別に、どこも、なにも変わっていなかった。
雑然と立ち並ぶビルや住宅街、ごちゃごちゃと並ぶ日本語の看板が、車窓を流れた。

長い間離れていたおかげで、むしろこっちのほうが外国のように感じた。けれどその一方、旅行になど行っていなくて、3日前の1週間前も1が月前も僕はここにいたような気がしてくる。なんともいえない不思議な感覚だった。

そして、家に帰った。
それで終わったのだ。

もう一つの果て

.16 2010 ポルトガル comment(2) trackback(0)
10月12、13日 ポルトガル サグレス

この僕のユーラシア横断の旅のイメージになっているものに、沢木耕太郎の深夜特急という本がある。そのなかで、主人公が、つまり沢木耕太郎が、旅を終わりにしようと決意する場所は、サグレスである。

この長旅をロカ岬で終わりにするか、サグレスで終わりにするか、とても迷った。
結局、ロカ岬に行ったものの、どうにもあの雰囲気が合わず釈然せず、ならばサグレスに行こうとすぐに思った。

リスボンからラゴス行きの高速バスで3時間。さらにそこからローカルバスに乗りついで1時間。朝早く出たのにもかかわらず、港街のラゴスをぶらぶら歩いていたら、結局着くのが夕方になっていた。


PA122277.jpg

PA132407.jpg

PA132466_20101211122356.jpg

PA132465.jpg


行ったサグレスは、とても良かった。
ここは街というかもはや村に近い。ポルトガルの片田舎、といった感じだった。
泊まったところはホステルでなく、クロアチアで泊まったソベのような普通の民家で、
バス停を降りた途端、叔母さんが現れて、分からないポルトガル語を交えつつ、泊めてもらえた。
メイン通りに歩く人はまばらで、公園で昼寝しているおじいさん。ゲートボールのようなものをしていたりする。
ぶらぶら歩きで一休みして入ったバルでコーヒーを飲んでいると、道路越しに海が光って見えた。格別なにがあるわけでもないのに、なんだか良かった。

PA122296_20101211122607.jpg
サグレスから眺めたサンビセンテ岬

PA122298.jpg


とりわけサグレスで見た海岸からの夕日はとてもきれいだった。
街の中心からまっすぐ海岸に伸びる道路の先に、エンリケ航海王子が建てた海軍学校跡の要塞がある。さらに先に小さい灯台が見える。そこがサグレス岬だ。灯台は要塞の向こうにあって、夕方だったので要塞の中に入れなかったが、それでもその外から見た夕日は美しかった。深夜特急にはこの要塞が出てくるから、たぶんこのあたりにあの人も立ったのだろうと思う。やっぱりちょっと感慨深かった。


対岸に見える岬はサンビセンテ岬で、こちらはユーラシア最西南端なのだそう。
起伏のない平坦な大地が続いて、そしてここで大地はぷっつりと途切れ、断崖絶壁の下、海が広がるのが、良くわかる。サグレスの眺望の良さはロカ岬の比ではなかった。
まさに地果て、海始まるところだった。この先に陸はない…。旅は終わった。
この場所のほうが終わりにふさわしいと思った。

最西南端のサンビセンテ岬には、新と行った。ドブロブニク以来の一カ月ぶりの再会。バルカン半島を南下したあとイタリアに渡り、そこからチュニジア、モロッコ、ジブラルタル
海峡を渡ってヨーロッパにもどり、スペイン、ポルトガルときた。

サグレスからサンビセンテまで2人で貸自転車で行った。
一本道の道路を8キロほど。天気が良かったので気持ちが良かった。この岬でも証明書を売っていた。灯台の周りではいくつか屋台が売っているタオルやシャツのお土産が、貴重なものに見えた。ただ果てだからというだけで…最西南端というだけで…


サグレスビールでまたも乾杯。
新はこの海のむこう、南米へ行く。
僕は、日本に帰る。
不思議と、その実感が湧かなかった。


PA142489.jpg

PA142524.jpg

PA142530.jpg

PA142539.jpg

PA142549.jpg


.15 2010 ポルトガル comment(0) trackback(0)
10月11日 ポルトガル ロカ

リスボンからロカ岬にも行った。

ユーラシア大陸の最西端の岬、ロカ岬。
市内から郊外電車とバスで行けるけれど、乗り継ぎが良ければ1時間とちょっとで着いてしまう。
あんまりに簡単なので、リスボン観光をしたあと、一緒に回る観光客がとても多い。

シントラ行きの電車は、そういう人たちがたくさん乗っていた。

ユーラシアを横断するという、漠然とした目的から始めたこの旅の終着点は、たぶんこのロカ岬、ということになるのかもしれない。でも僕はもうこの電車に乗った時から、その場所が最後ふさわしくないところなのではないかという気がしていた。

込み合った車内で、僕の向かいの席に座っている男の人はまぎれもなく日本人で、例によって黄色い歩き方の本を、舐めるようにじっくり読んでいた。開いているページはロカ岬。
その後シントラから乗ったバスも短期で気軽にポルトガルにやってきたような感じの日本人が乗っていて、なるほどロカ岬はこうして誰でも簡単に行ける、なんてことのない場所なのだ、と着く前からわかって気分が萎えた。

くねくね曲がった道を乱暴に運転する市内バスに揺られた。集落を通り過ぎると、それほど大きくない草原が広がってきて、しばらく走るとそこが終点。

果てに着いた。
そこは駐車場もあって、観光案内所もあって、最西端も示すモニュメントあった。
何台もの車。そしてたくさんの人がいて、モニュメントの前で交代で記念撮影している。

赤白に塗り分けられた灯台の下は確かに崖になって切れ落ちていて、その先はどこまでも海。けれど灯台の周りは、僕がイメージしていたような尖った、つまり岬らしい地形にはなっていなかった。どこにでもある。海岸線の一部という感じがした。

せっかく来たのだからと、僕もモニュメントの前に立って記念写真を撮ってもらった。地果て、海始まると書かれた到達証明書なるものものも買ってみた。案内所で名前入りで書いてもらえる。

なのにあんまり気分が高揚してこなかった。これで終わったのか、という落胆のようなものを感じた。
やっぱりその場の雰囲気があまり好きになれなかったからかもしれない。

そして、やっぱりあっちの岬に行っておくのだった。と思った。
普通なら、岬とセットで見るという世界遺産のシントラ城も、おとぎの国のようらしいシントラ街並もろくに見ないでリスボンに戻った。明日もうひとつの岬に行こうと思った。

PA112238.jpg

PA112233.jpg

PA112250.jpg

PA112251.jpg

坂と電車と

.14 2010 ポルトガル comment(0) trackback(0)
10月10日 ポルトガル リスボン

リアルへシラスからバスに乗り、セビーリャで国際バスに乗りついでポルトガルへ。乗ってしばらくすると眠ってしまった。目が覚めると曇り空のさえない天気の下、バスは湿地帯を走っていた。窓の外を走る車のナンバープレートを見ると、Pの文字。寝ている間に国境を越えたらしい。
天気のせいか、スペインよりも建物がどことなく落ち着いていて見えて、しっとりとした静かな印象がした。トルコからブルガリアに入ったときの感覚と似ている。

リスボンまで一気に行くと着くのが遅すぎるようだったので、ファーロで一泊した。ファーロからリスボンまでは列車で。くすんだ銀色の急行で4時間ほど。市街に着く直前、大きな橋を渡った。

7つの丘からなるというリスボンの街は確かに坂が多かった。
街のあちこち海を見ながら散歩した。坂があって海が見える街は大好きだ。なぜか懐かしい。あちこちの通りを黄色の路面電車やケーブルカーが登ったり降りたりして、いい味出している。

コルメシオ広場から南に続くあたりはリスボンのメインストリート。洋服屋や酒屋やレストラン街など。それからお菓子屋さんがあちこちにあってエッグタルトなんかがショウウインドー越しに並んでいる。かなり甘かったけれど美味しかった。見た目はプリンみたいなのに、食べるとカステラの味がするやつも。カステラってポルトガルのお菓子だった。

南北に何本か走る通りを南に進んで行くと、海ではなく川に出る。
港街のイメージだったリスボンは、川に面しているというのが少し意外だった。テージョ川という。とても幅は広くて、まさに海のよう。電車で渡ってきた4月25日橋はイルミネーションこそ少ないけれど、夕暮れになるときれいに見える。


べレンのエンリケ王子のモニュメントも、サンジョルジェ城からの赤茶色の街の眺めも良かったけれど、一番良かったのは、アルファマという地区。

このあたりだけ、細い路地が坂道の中に入り組んでいて、少しほかと感じが違う。どの建物も少しくたびれた感じがする。塗装の剥がれかけた緑色のドアの入り口がいくつもあって、建物ごとに違う形で、見比べながら歩いているのが楽しかった。窓からたくさん洗濯物が干されて、おばあさんが顔を出す。
そんな道を上がったり下がったりして進んで行くと、車一台やっと通れるくらいの幅の狭い道を、黄色い一両の路面電車がごろごろ通り抜けていく。

アルファマ地区は250年前に起きたリスボン大地震でも被害を受けず、古い街が残っているらしい。ヨーロッパのきれいな街は、例えばチェコのプラハとか、たくさんみたけれど、こんな風なに生活臭のする町並みはあんまり見なかった気がする。それが、とてもよかった。

PA172803.jpg

PA102091.jpg

PA172845.jpg

PA172766.jpg

PA102103.jpg

PA102197.jpg

PA102186.jpg

PA102216.jpg

PA162605.jpg

PA152591.jpg

PA152587.jpg



 HOME 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。